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深夜の種継ぎ場で交わされる、手のひらだけの合図
本作は、パン屋で働く23歳の志摩ちとせが、深夜の種継ぎに立ち会わせてほしいと自分から頼んだことから始まるTL小説です。一年働くなかで、成形と窯前を覚えている途中の彼女。一方、種を継ぐ職人の菅生毅は36歳。深夜の種継ぎだけは彼がひとりで行っていました。
この作品を他と分けるのは、種継ぎという作業のディテールがそのまま二人の距離になっていく構図です。菅生は水温計を使いません。ちとせの掌を甕の縁に当てさせ、その冷え方だけで継ぎ水の温度を決める。記録は紙にも物にも残らず、残るのは彼の手のほうだ——という語りが、あらすじで示されています。仕事の手順と身体の接触が重なっていく様子が、この話の軸になっています。
呼ばれる夜が続くなかで、待つ時間の意味が変わる
あらすじでは、呼ばれる夜が続くうち、種を待つあいだの時間を二人が持て余さなくなったと描かれます。眠っていたわけではない、粉だらけの台に手をついて起きたまま抱かれた——という流れのあとに、一次発酵を待つ二時間のうとうとが来る。目を覚ますと甕は継がれていて、腹の奥だけがまだ熱い。行為と発酵が同じ時間のなかで並んで進む構成が、この作品の固有のリズムになっています。
また、菅生の手が常に正しいわけではない点も見逃せません。ちとせの冷えを読み違えた夜の種はだれて酸が立ちすぎ、別の夜の種はとうとう起きなかった。だれた種を捨てながら、菅生は「俺の手の話だ」と言う。失敗が仕事の話として処理されるところに、この二人の関係の質感が出ています。
掌を差し出す側の変化と、翌朝の二つに割ったパン
あらすじの終盤では、いまは酸い匂いを嗅ぐだけで身体のほうが先に起きるようになった、とちとせの変化が語られます。そして孕んでいると分かった翌朝、菅生は焼き上がりを二つに割って、片方をちとせの前に置く。大きな出来事を大げさに言わず、パンを割る動作に置き換える場面です。
ヒロイン一人称視点・全10章・約2.0〜2.2万字という構成で、体験版は冒頭の第1章まで。挿絵なしの横書きPDF、全60ページの作品です。深夜の作業場の匂いと、言葉にしにくい大人の感情の重なりをじっくり味わいたい人に向いています。なお本作はR18の成人向け作品で、登場人物はいずれも18歳以上の成人です。
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